「ゲド戦記」と聞いて、スタジオジブリの映画を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
しかし、この映画版「ゲド戦記」は、原作小説とは大きく異なる内容となっており、公開当時から賛否が分かれる作品でした。
「ゲド戦記の原作との違いは?」「なぜ映画はひどいと言われるの?」と気になっている方もいるはずです。
そこで今回は、ゲド戦記映画の原作との違いとなぜ酷評なのかわかりやすく解説します。
ゲド戦記原作とは?

「ゲド戦記」は、アメリカの作家アーシュラ・K・ル=グウィンによって書かれたファンタジー小説です。
全6巻からなる「アースシーシリーズ」の総称なのです。
世界的に評価の高い名作であり、J・K・ローリング(ハリー・ポッターの作者)にも影響を与えた作品として知られています。
特に第1作「影との戦い」(1968年)は、ファンタジー文学の傑作として高く評価されています。
物語は、魔法使いゲド(ハイタカ)の成長と、魔法の力とバランスをめぐる深いテーマが描かれています。
ゲド戦記映画のあらすじは?(ネタバレなし)

スタジオジブリが2006年に制作した映画版「ゲド戦記」は、宮崎駿監督ではなく、その息子である宮崎吾朗さんが監督を務めました。
原作の3作目「さいはての島へ」をベースにしながらも、多くのオリジナル要素が加えられています。
では、映画と原作ではどのような違いがあるのでしょうか?
「ゲド戦記の映画を見たけど、ストーリーがよく分からなかった」という方も多いと思います。
ここでは、映画のあらすじを簡単に解説します。
王子アレンの逃亡
物語の始まりは、エンラッド王国の王子アレンが、突然国王である父を手にかけてしまい、王宮から逃げ出すところから始まります。
理由は不明ですが、アレンは強い恐れと葛藤を抱えています。
魔法使いゲド(ハイタカ)との出会い
旅の途中で、アレンは偉大な魔法使いゲド(ハイタカ)と出会います。
ゲドは世界のバランスが乱れていることに気づき、アレンと共に旅をすることになります。
テルーとの出会いと心の変化
アレンは、農村で暮らす少女テルーと出会います。
テルーはアレンの心の弱さを厳しく指摘しながらも、次第に心を通わせていきます。
クモとの対決
物語の黒幕は、邪悪な魔法使いクモです。
クモは不老不死の力を求め、アレンを操ろうとします。
ゲドとテルーはクモの野望を阻止するために戦いを挑みます。
クライマックス
クモとの最終決戦で、テルーには驚くべき秘密があることが明かされます。
そして、アレンはついに自分の「恐れ」と向き合い、成長を遂げます。
ゲド戦記映画と原作の違いは?
比較項目 | 原作小説(さいはての島へ) | 映画版「ゲド戦記」 |
---|---|---|
主人公 | ゲド(ハイタカ) & アレン | アレンが主役、ゲドは脇役 |
ストーリー | ゲドとアレンが魂の世界を探求する | アレンが心の闇と戦う |
テーマ | 「魂の受容」「魔法の均衡」 | 「生と魂のつながり」「心の闇」 |
ゲドの役割 | 知的で落ち着いた導師 | ただの旅人のような存在 |
テルーの設定 | 原作では登場しないキャラ | 重要なヒロインとして登場 |
なぜ酷評なのかわかりやすく解説!

① ストーリーが分かりにくい
映画版「ゲド戦記」は、原作とは大きく異なるオリジナル展開になっています。
しかし、そのストーリーは説明不足な部分が多く、「何が言いたいのか分からない」と感じる人も少なくありません。
② キャラクターの描写不足
原作では、ゲドは深みのあるキャラクターであり、成長を遂げる魔法使いとして描かれます。
しかし、映画ではゲドの存在感が薄く、アレンのサポート役のような立ち位置になっています。
③ ル=グウィン原作者の不満と批判
原作者アーシュラ・K・ル=グウィンは、映画版について次のようにコメントしています。
「これは私の物語ではない。」
私の見解
映画版「ゲド戦記」は賛否がありますが、良い点もあります。
ジブリならではの美しい映像表現では、幻想的な風景描写が圧巻だと思います。
また、テルーの歌は名曲です。
アレンの心理描写についても、原作とは違いながらも、映画独自のテーマを持っています。
まとめ
今回は、「ゲド戦記」について、映画と原作の違い、映画の評価について以下のことがわかりました。
- ゲド戦記映画は、原作小説「さいはての島へ」をベースにしているが、大きな違いがある。
- 映画版はストーリーやキャラクター描写が不足しており、分かりにくいと批判された。
- 原作者ル=グウィン自身も映画に不満を表明している。
- しかし、映画には美しい映像や音楽など、評価できる点もある。
「ゲド戦記」の原作の内容を知った上で映画版を見ると、また違った解釈もできるかもしれませんね。
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