2025年8月16日配信の週刊文春電子版で、広陵高校の元部員による過去の暴力事件の告発がされました。
今回の内容は、右半身麻痺、車椅子生活など衝撃なワードが飛び出してきました。
今回の記事では、元部員Aさんが語った告発内容をもとに、当時のリアルな証言と学校側の対応、そして名将とされる中井哲之監督の本当の姿を深掘りしていきます。
広陵高校元部員の告発内容がヤバすぎる!
広陵高校野球部・元部員の衝撃告白「部室での暴行で右半身が麻痺し、車椅子生活に」https://t.co/hcojA3VBsA#週刊文春
— 週刊文春 (@shukan_bunshun) August 16, 2025
2025年8月16日、「週刊文春」が報じた広陵高校野球部元部員の証言は、名門と名高い広陵野球部の裏側を暴露し、大きな衝撃を与えました。
告発の中心人物であるAさんは、2015年に甲子園を夢見て入学しました。
しかし、野球部内にはしごきという名の暴力が蔓延しており、集団暴行によって右半身麻痺の後遺症を負い、車椅子での生活に追い込まれるほどの重傷を負っていたのです。
これより、Aさんの証言をもとに、事件の発端とされた部室内での暴力の詳細についてお伝えします。
部室での暴力の詳細
事件が起きたのは2015年9月18日。
新チームが始動して間もない頃、Aさんは夕食時にある先輩から嫌がらせの命令を受けました。
それは「グレープフルーツの汁を他の先輩の目に入れろ」というもので、拒否すると「あとで部室に来い」と言われたのです。
消灯後の真っ暗な部室に呼び出されたAさんを待ち受けていたのは、2年生の先輩3〜4人だったと言います。
Aさんは正座を命じられ、手を後ろに回された状態で、殴る蹴るの暴行を受け続けました。
中にはスパイクを履いたままの先輩もおり、蹴りの一発がこめかみを直撃したのです。
Aさんはその場で意識を失い、病院に緊急搬送されました。
目覚めたのは県立広島病院のベッドの上だったといいます。
Aさんが最初に思ったのは「野球部に迷惑をかけてしまう」という罪悪感と、「また先輩にやられるのではないか」という恐怖でした。
そこで気づいた異変は、右半身がまったく動かない、右足は反応せず、右手も握れず、診断は「右半身不全」だったのです。
にもかかわらず、見舞いに来た中井哲之監督から言われた言葉はこうでした。
「お前は部室の扉で挟んだんやってな。何をどんくさいことしとるんや」
Aさんが「違います」と否定しても、暴行の事実は「事故」として処理され、隠蔽されることになったのです。
この後もAさんは寮内でのさらなる暴力や誹謗中傷に晒され、心も体も追い込まれていきます。
右半身麻痺・車椅子生活に追い込んだ暴力
広陵高校での暴力を受けたAさんは、命こそ助かったものの、右半身麻痺という深刻な後遺症と向き合うことになります。
高校生活の中で味わった暴力と隠蔽、さらにその後に待っていたのは、仲間だったはずの同級生たちの裏切りでした。
ここでは、Aさんがどのような日々を送り、どのような心の傷を抱えて転校を決断したのか、その背景と支援の実態について見ていきます。
精神的なダメージと転校
Aさんは入院を経て、一時的に車椅子生活を送ることになります。
右手は動いても握ることができず、右足はまったく動かない状態だったといいます。
しかし、もっと辛かったのは心のダメージでした。
中井監督は退院後に回復したAさんへ「お前の怪我は全部ウソやろ」「大ごとにしたかっただけじゃろ」と突き放したのです。
また、同級生や先輩からも「しょうもない怪我」「右が動かんとか嘘やろ」と冷たい言葉を浴びせられる日々でした。
退院後には、またしても暴力の標的となり、今度は同級生からも集団暴行。
正座をさせられ、再び殴る蹴るの暴行を受けるという悪夢のような出来事が起こりました。
当時、Aさんは家族に向けてこんなSOSの手紙を送っています。
覚悟を決めて行ったんやけど、こんな生活もう無理やわ
野球のためにこんな辛い思いするんやったら、野球なんかもういいわ
この言葉から、精神的にどれほど追い詰められていたかが伝わってきます。
その後、Aさんはついに広陵を去ることを決意し、他校へ転校。
Aさんを庇って謹慎処分を受けていた他の2名の部員も同時に広陵を退学しました。
転校後の詳細な支援体制については公表されていませんが、家族や周囲の理解によって、少しずつ心身のバランスを取り戻していったと見られます。
それでも、過去の記憶や失った夢は簡単に消えるものではありません。
中井哲之監督の対応と責任は?
広陵高校といえば、数々のプロ野球選手を輩出してきた名門中の名門です。
その中心にいるのが、野球部の顔でもある中井哲之監督です。
しかし、今回の告発を通して明らかになったのは、そんなカリスマ指導者像とはかけ離れた姿でした。
ここでは、Aさんが証言した中井監督の言動と、それがもたらした空気や影響について、深掘りしていきます。
「お前らは家族だ」発言
中井哲之監督はかねてより、部員たちに対して「お前らは家族だ」と口にしてきたと言われています。
一見すれば、信頼と絆を重視する指導者のようにも見えますが、Aさんの証言から浮かび上がるのは、まったく異なる姿でした。
暴力によって入院したAさんに対して、中井監督は「どんくさいな」「自分でドアに頭をぶつけたんやろ?」と事故であることを強要。
Aさんが事実を訴えても、真実を封じ込めようとしたといいます。
さらには退院後、「右が動かんとか、全部嘘やったんやろ」「お前は何がしたいんじゃ」とまで言い放ち、本人の心を完全に打ち砕いたのです。
このような言動は、指導者の枠を超えて「権力による支配」そのものです。
部員たちにもその空気は伝わり、加害者や他の部員までもがAさんを嘘つき扱いするようになっていったといいます。
口先だけの「家族」では守れない現実。
中井監督の発言と行動は、その言葉の重みを自ら壊してしまったと言えるでしょう。
次は、そもそもこうした暴力がなぜ常態化していたのか、野球部全体の風土について見ていきます。
暴力を黙認?
広陵高校野球部での暴力は、今回が初めてではありません。
実際、Aさんが再び暴行を受けた2016年には、高野連から「対外試合禁止1カ月」の処分が出されています。
しかしその一方で、より深刻だった2015年の集団暴行については、高野連に報告すらされていませんでした。
当時の教員や保護者の証言から浮かび上がるのは、「野球部と監督は学校内でも絶対的な存在だった」という構図です。
誰も逆らえない、何も言えない、指導者の顔色をうかがい、暴力すらも見て見ぬふりをされる空気があったのです。
写真撮影を止められたり、「3人の悪いところを全員で言わせるミーティング」が開かれたりと、部内ではパワハラ的な文化が根付いていたとされます。
そして、Aさんだけでなく、同じように暴力を受けたBさん、Cさんも退部・転校に追い込まれているという現実があったのです。
中井監督の責任は見ていなかったことだけではありません。
「見ようとしなかった」「部の体質を変えようとしなかった」この構造そのものが、暴力の温床になっていたのです。
まとめ
今回の記事では、広陵高校元部員による衝撃の告発内容をもとに、野球部内での暴力の実態や監督の対応について詳しくお伝えしました。
以下に、要点をまとめます。
- Aさんは2015年に入学し、名門・広陵高校野球部で暴力を受けて右半身麻痺の後遺症を負った
- 集団暴行の内容は極めて陰湿で、部室で正座させた状態での殴打や蹴りが含まれていた
- 中井哲之監督は暴行を“事故”として処理しようとし、事実を否定した
- 学校側も暴力の存在を認めず、「扉で頭を打った事故」として高野連への報告すら行っていなかった
- Aさんはその後も同級生から暴力を受け、最終的に広陵高校を転校するに至った
広陵高校は、これまで甲子園常連校としての輝かしい実績が語られてきましたが、その裏には決して許されることのない暴力の文化と隠蔽体質があったことが明らかになりました。
この件を通じて、指導者や学校の在り方、そして何より「暴力を許さない風土づくり」の重要性を、改めて社会全体が考えるきっかけになればと思います。
コメント